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児玉清さんのこと

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昨日、俳優であり、読書家の児玉清さんが亡くなられたというニュースをききました。
http://kodama-kiyoshi.tys-kei.co.jp/

KAI-YOUでは『界遊004』内で児玉さんに取材をさせていただくことができ、それが唯一ぼくが児玉さんに実際会ってお話をさせて頂く機会になってしまいました。
なにかを書き記しておきたい、と、こういう時にはいつも思うのですが、眼前の事実に対して大層なことが書けないと思い、あきらめてしまうことがこれまで多々ありました。するとやっぱりその時の感覚というのは、だんだん薄れてしまう。でも最近とくに、その感覚こそ大事にしていたいと思うのでごくごく個人的なことですが、何かを書いてみようと思います。


ぼくが始めて児玉さんを意識したのは、おそらく小学校5年生の時だ。
日曜日に父親の作る遅めの昼食(大抵チャーハンや、焼きそばやざるそばといった簡単なもの。特に多かったのが焼きそばで、なぜか父親は小さく刻んだちくわと炒り卵的なものを入れるのが好きだった)をとったあと、父親と毎週アタック25を見るのがなぜか習慣だった。その後中学受験をすることになるぼくは、ちょうど塾に通いはじめたころで、なぜか知識欲が異様に高まっていて、父親と番組内の回答者と競うように問題に挑戦していた。自身満々でぼくが口に出す解答にかぶせるかのように「残念!」と宣言する児玉さんは、当然圧倒的にテレビの中の人だった。


『界遊004』では、発刊した2010年が国民読書年ということもあって、読書にまつわる企画をやろうということになり、いろいろとかけあってみたところ児玉さんに取材させていただくことに。当日はけっこうな雨で、神楽坂の駅から約束の日本出版クラブ会館までゆっくり歩いて行った。お会いしてみると児玉さんは想像以上にすらっと背が高く(きっと180センチくらいあったんだろう)、これも想像以上になんというか、単純にかっこよく、そして本当に本を愛している方だった。

取材以降たまに思い出す。

本題の前に、ぼくらの『界遊』の媒体説明をしていたとき、「アカデミックもエンターテイメントも、他のカルチャーすらも交えた全く新しい文芸誌を作りたいんです」的なことを話したときに児玉さんの目が凄みをましたように思えた。
その後児玉さんの読書遍歴を聞いている時、学習院でドイツ文学を専攻していて、院に入って評論の世界に進みたかったというお話の時だった。児玉さんは急に身を乗り出して、なんとも言えない角度で頬杖をつくとぼくらの目の裏をのぞき込みながら、「君たちも文学を志している若者だったら分るでしょう。ぼくは言葉で世界を相手にするつもりだったんだよ」と語ったこと。こうやって文章でみると、キザに思われるかもしれないけれど、しびれるくらいにかっこよかった。


その後も取材は楽しくすすんだ。


エンターテイメント小説を「おもしろ小説」と呼ぶチャーミングな児玉さん。
フィクションだから描ける真実がある、と熱弁する児玉さん。
こちらの緊張をとくために、リラックスさせようとしてくれながら、カメラを向けると表情がキリッと戻る児玉さん。
自分の観ているもの以外の「現実」のたいせつさを、読書を通じて語る児玉さん。



ぼくの机のすみに置いてある『界遊004』の記事をいま読みなおすと、不思議なきもちになる。
父親の作る味の濃い焼きそばのある、食卓の風景の一つだった児玉さんと、果てしなくかっこよかった実際にあった児玉さん、そしてこの本の中に収まったその時の児玉さん。ぜんぶ同じ人なのに、表情が違い、その時のぼくもまた違った気持ちで彼を見ている。


ニュースではじめて、お嬢さんを同じ胃がんで先に亡くされていたことを知った。児玉さんが大学院進学と文学の道をあきらめ、俳優の道にはいったのは、母親を亡くされたことが原因だったと話されていたのを思い出す。お嬢さんとお母さんとごいっしょに、どうかゆっくりとおやすみください。