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被災地のいま

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 とりあえず、まとまりなど考えず、だらだらと書きますよ。

 いろいろやりました。高校で先生や生徒たちと支援物資の仕分けをしたり、家屋の泥出し作業をしたり。ここには書けないことをしてみたり。
 支援物資は、棚卸を必要とするほどの量が集まっています。それでも、モノというのはむずかしいもので、クリティカルでないものばかりが届いたりするわけです。赤ちゃんのいないところに粉ミルクばかり詰んであるとか、老人のいないところに(まあ、岩手にはそんな場所のほうが珍しいのですが)成人用オムツだとか。

 とにかく、倉庫の管理というのは大変。震災以降休みをとれなかった先生たちの代わりに、いつの間にか責任者みたいなポジションになっていて、自衛隊の人に「お久しぶりです!」とか言われるのでした。
 いつからか自衛隊さんが物資の倉庫を担当することになったのですが、彼らは思いもよらないサービスをしてくれたり、ほんとうに有難いのです。

 GW中のことでした。「明日は生徒さんたち、何人が学校で活動されますか?」と自衛隊さん。私じゃわからんので生徒課長の先生を呼んできたら
「明日は部活だけですので、◯◯人くらいです(が、それがどうしましたか?)」
「それでは、◯◯人ぶんの昼食を手配しますね!」

 自衛隊さんは、気がきく。

 
 さて、私の「宿題」は、【いかにして被災地の生徒たちに「城の崎にて」を教えうるか?】というものでしたが、いまだに正解は見いだせません。彼らは象徴的な「蜂の死」、「いもりの死」を超えた《体験》をしてしまっているのですから。
 ただ、「いつもどおり」をつくってあげること、それもまた一つの真実なのかとも思えたエピソードをご紹介しましょう。

 私は、「もう先生じゃなく、東京で雑誌つくってるんだ」と生徒たちに(はじめて)伝えました。物資の仕分けを一緒に頑張ってくれている生徒たちに。
 そうするとですね、あいつら、わざわざ後ろから私に「先生!」と声を掛けまして、私はまあ、彼らの声の方向に私の他「先生」がいないことを確認した上で振り返ります。「何だ?」と。返ってくる言葉というのは
「あ、ちがった。おっさん」

 この関係性。ああ、役に立てているのかなあと。俺がここに来てよかったのかもなあと、そう感じさせてくれる「暴言」でした。
 家を失った彼らが、連日の物資の仕分けでつかれている彼らが、マレビトをおっさんよばわりして笑っている。おっさん冥利につきるじゃありませんか。

 まあ、そういったところから、努めて深刻に考えることもなく、「城の崎にて」を教えちゃってもいいんじゃないかとか思ったりしたんですが、それでもやっぱり「城の崎にて」は避けて通りたいなあと思ってます。もう、ただのおっさんですから、それを教える立場にはいないのですが。


蛇足:以下、個人的見解です。(上だってそうだけれど)
 みなさんにお伝えしたいこと、あるいはお伝えできること。大きく2点。
【震災/津波被災地のことを忘れないで下さい】、
そしてできることなら、【いちど現地に足をはこんでいただきたい】というものです。

 人手が足りません。お金も足りません。食料が足りません。土地が足りません。雇用がありません。何が足りているか。何も。しかしそれも、被災地ごと、避難所ごとに、全て状況が違う中、また、刻一刻と状況が変化し続ける中、見えづらい状況ではあります。
 継続的にヒアリングすること。現地からのニーズを吸い上げること。現地の瓦礫をまず、はけさせること。その瓦礫の行き先に考えを巡らせること。情報と情報とをつなぐこと。支援の体制を再考すること。支援者の支援をすること。新生した町の絵を思い描くこと。足りないです。おそらく考えが足りない。私は考え続けます。近視眼的に岩手のことだけを。

 私の実家は岩手の内陸ですが、父母は沿岸で勤務しており、10日間ほど安否がわからない状況がありました(無事でした)。さすがに10日も経つと、無事と思いながらも心が荒んでまいりまして、それというのも邪念なのです。なんというか複合的な邪念。
「お前はなぜ、近親者だけを心配しているんだ? お前の教え子も、知り合いも、被災地には大勢いるのだろう?」
 そんな私を救ってくれた言葉がありまして、KAI-YOUの数少ない女性メンバーのものでしたが、「それぞれ一番心配するレイヤーは異なっていて当たり前なんだよ。そして、たぶん心配されるレイヤーは、それぞれが補い合っている。だから、今は近親者だけを心配していればいいんだよ。他の人達はそれぞれに心配されているんだから」という。

 この言葉は、現在の群雄割拠とも跳梁跋扈ともとれる数多のボランティア団体それぞれの活動にも当てはまると思っています。後方から支援する人、現地をかけずり回って汗を流す人、物資を送る人、手紙を送る人、募金をする人、非被災地でリマインドの活動をする人、情報を集めマッチングする人等々。それら人々がそれぞれの地域、それぞれの活動を通して、最終的な「被災地の自立復興」にむけて動いています。
 だから私の持ち場は、見るべき/考えるべき場所は岩手県です。
 誰にも、それぞれに生活があり、それぞれに思いやる場所があるのだと思います。それがたまたま、私にとっては今、岩手県だということです。
 長くなりました。これからも現地に入り、また東京からも、出来る限りの活動を続けていきます。長期戦です。「手が届く範囲を救う」、というのは『仮面ライダーOOO』の、おそらくは震災を受けての一つのアンサーでしたが、継続的な支援のためには今ある生活を守ることも重要です。そして出来うることなら、みなさんも少しだけ「その手を伸ばして」被災地の今に想像を巡らせていただければなあと思っています。それでは。