「UZIさんの大麻逮捕」についてdisが来たのでアンサーします
代表・米村と副代表・新見の連載コラム。週に1回をめざしつつ、不定期更新です。
「代表/副代表が普段考えていること」「お互いが書いた記事への意見」「お互いに言いたいけど言いにくいこと」などなどが書かれていきます。
「UZIさんの大麻逮捕」についてdisが来たのでアンサーします
お久しぶりです、新見です。
UZIさんが逮捕されました。KAI-YOUでも状況を鑑みて、速攻で取り上げました。
この件で、いくつか、KAI-YOU自体にdisをもらいました。
曰く「話題の取り上げ方に疑問」「この内容でも『ポップ』としてまとめてるの意味わかんない」「ポップって言ってればなんとかなると思ってるクソメディア」みたいな声でした。
数が多かったわけではないですが、たまたま数件目に入りました。
別に反論というわけではないのですが、良い機会なので説明します。
逮捕はポップか
KAI-YOUでは、UZIさんに何度も取材させていただいたことがあります。
時間をいただいてインタビューもさせていただきました。イベント取材の際には特別にフリースタイルを収録させていただいたこともあります。
なぜ取材させていただいたかというと、彼は日本のヒップホップにおいても長いキャリアを持っている方で、なおかつ今のラップブームとの橋渡し役になっている方でもあるからです。
逮捕報道をいち早く取り上げたのは、メディアとして日頃から追いかけている方の逮捕報道を取り上げないという選択は、それこそ筋が通らないからです。
当然、復帰された際にも記事にします。実現すれば、インタビューもさせていただきたいと思っています。
ポップとは、未知の領域に足を踏み出すヒント
ではなぜ、ヒップホップのキーマンである方の大麻報道を“ポップ”なものとして取り上げたのか。KAI-YOUの定義する“ポップ”について、今一度明確にする必要があります。
サイト内の「about」から全文持ってきます。
KAI-YOU.netは、歴史を紐解いて今を駆け抜け未来を切り開く、すべての人のためのポップポータルメディアです。様々なジャンルを横断し、世界をよりワクワクさせるあらゆるポップなコンテンツを扱います。
「ポップ」とは本来、その魅力の説明を必要としない一目瞭然の輝きを放っているものですが、今日、超情報化社会に生きる私たちは、そんなポップを見落とすどころか見あやまりがちです。今、何がどうポップなのか──野暮でも無粋でも、誰かがそれを名指す必要に迫られているのが現代です。それは裏返せば、世界が複雑化を極め、多様化し、自由な時代になったということの証明でもあります。
そんな中で私たち編集部にできることは、訪れたユーザーが世界の複雑さを認め、世界の多様性を肯定しながら日々新たな発見ができるよう、「世界と遊ぶ」楽しいメディアとしてポップな何かを発信していくことです。みなさまに楽しんでいただけるよう、私たちも楽しんで(ポップに)運営してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
長ったらしいですが、複雑さを肯定するポップという事象を一言で語ることもまた、少なくとも僕の力量では難しいからです。
ただ、あえて一言で言えば、KAI-YOUの、僕の定義する“ポップ”とは、新しい興味・関心の扉を開き、未知の領域に足を踏み出すヒントや道標だと考えています。
UZIさんの大麻逮捕事件は、この、未知なる領域に踏み入れるためのきっかけになると考えています。
だから、KAI-YOUではこの事件をポップなものとして発信しました。
ライフスタイルではなくなったヒップホップ
当たり前ですが、念のために言っておくと、僕らは犯罪を肯定しているわけではありません。
では、この場合の「未知なる領域に踏み入れる」、つまりポップへ至るきっかけとは何のことか。
私見ですが、近年の日本でのラップブームは、ある種の分断が起きた結果として発生しているものだと思っています。
かつて、ヒップホップはライフスタイルでした。
今さら僕ごときが言うまでもないですが、ビートと言葉さえあれば奏でられるラップだからこそ、ブラックカルチャーとして立ち上がったという出自を持っているからです。
彼らにとって、それしかない武器、つまりカウンターとしてヒップホップは存在していました。
そしてそれが世界的に広まった結果、日本でも、ライフスタイルとしてのヒップホップが輸入されてきました。
昔から、リアルかフェイクか、メインストリームかアンダーグラウンドか、みたいな議論は限りなくありました。というか、日本のヒップホップ史は常に、その対立に彩られていたと言っても過言ではありません。しかし、その議論が永続的に続いてきたことこそが、日本においても、ヒップホップがライフスタイル、生き様であったことの証左でもあります。
今でもそうした棲み分けは厳然として存在しています。しかし、現在のムーブメントは、それとは全く異なる位相で起こっています。
これまでのヒップホップのイメージは、悪ぶってるように見えたり、よく内輪もめしていたりと、狭いムラ社会の嫌な部分が印象として目立っていた側面もありました。
でも、徐々に、様々な出自を持つ人たちが現れ、音楽的にも多様になりはじめました。
そこには様々な理由があります。古くはスチャダラパー、そして僕ら世代では、KREVAやRHYMESTERといった、メジャーシーンで通用するラップを続けてきた先人たちの功績。
インターネットが隆盛して、旧来のヒップホップ的コミュニティーに属さない才能が生まれ、才能同士が繋がれるようになったこと。海外のトレンドとのタイムラグが徐々に縮まっていったこと。
そして近年では、ヒップホップのいち側面である “フリースタイル” が見世物として、興行的に成功した結果、これまでヒップホップに親しんでこなかった人たちの目に触れる機会が爆発的に増えていきました。
それ以降、言葉遊びとしてのヒップホップ、音楽としてのヒップホップがさらに加速度的に盛り上がっています。
つまり、ライフスタイルだけに捉われなくなった自由度が、ヒップホップを進化させたと言えます。
その結果、何が起きたか。
ムーブメントとして裾野が広がりすぎたことで、バトルを主軸としたエンタメと、これまでのライフスタイルとしてのヒップホップとの分断も起きていると僕は思っています。
もちろん「フリースタイルダンジョン」でラップに触れたことで、ヒップホップ自体に興味を持ち、歴史を遡っていく人たちもいます。
ただ、例えばバトルイベントのゲストに大御所のMCが出てきても、ライブが全く盛り上がらないといったことも起きています。ブームの火付け役である「高校生RAP選手権」や「フリースタイルダンジョン」の現場ではそれが当たり前になっています。
同時に、サブスクリプションサービスの隆盛はじめ、消費活動自体が、フラットに、時にはライトになっていく中で、ヒップホップにおけるライフスタイルとしての側面は、相対的に小さいものになっています。
この議論ももう1〜2年前のことですが、出自の異なる様々な背景が交錯する地点に、日本語ラップは立たされています。 駆け足ですが、ここまでが前段です。
ヒップホップは、社会とどう向き合うべきなのか
話を逮捕騒動に戻します。 UZIさん逮捕の報道以降、様々なリアクションが起きています。
もちろん、ヒップホップが広がっている大事な時期で、大事な役割を果たしていた方の逮捕だっただけに、それを糾弾、あるいは残念がる方々も多くいます。
同時に、「何が悪いんだ?」と開き直る人もいます。「だってヒップホップだぞ?」と。 ここにはジレンマがあります。
「フリースタイルダンジョン」のユニークな試みの一つに、放送禁止用語などを自主規制する「コンプラ」があります。
要は、ラップしてる最中にヤバい単語が出てきた時のピー音です。
ただ、文脈上は簡単な虫食い問題でしかなく、視聴者の多くは、大麻などの単語がでてきていることを知って、それを含めて楽しんでいます。つまり、そうしたヒップホップが持つアンダーグラウンドな側面をもネタとして昇華してきたわけです。
しかし、今回の報道を受けて、「大麻ってネタじゃなくてマジだったんだ」「ひくわ」といった拒絶反応も起きています。 コンプラをひっぺがしたら、罵詈雑言やイリーガルな文化が横たわっていることをネタとして楽しんでいた人たちと、それが単なる事実だと知っていた人たち。
乱暴にまとめてしまえば、ここで巻き起こっている三者三様の意見は、つまり、ライフスタイルとしてヒップホップを愛している人と、音楽としてのヒップホップを愛している人、あるいは言葉遊びとしてのヒップホップを愛している人との衝突です。
言うまでもなくそれらは分かち難く、別個のものではありませんが、それぞれ重きを置いている場所にグラデーションがあります。
そのため、今回の報道を受けて、大きな見解の相違が起こっています。
そもそも、ヒップホップ云々を置いておいても、大麻の利用を巡って立場は分かれます。大麻には手を出さないと宣言するラッパーもいれば、堂々と公言するラッパーもいます。リスナーも同様です。
しかし、アメリカで大麻解禁の流れが盛り上がり、税収面でも効果を挙げていることは伝えられている通りです。もし日本でも解禁となれば、日本の財源の一つとして機能する可能性も考えられます。
誤解しないでほしいのですが、現時点での法的にはUZIさんは裁かれるべきで、もし実刑判決となったらきちんと刑期を満了させて社会的責務を果たさなければいけません。
日本に居住している以上、日本の法律は当然守らなければいけません。
しかし、法を犯すリスクをとってでも自分のやりたいことをやる、趣味嗜好を変えない、という人たちも存在します。
繰り返しになりますが、カウンターカルチャーとして立ち上がったヒップホップは、不可避的に、そういう人が多いです。今も。(必ずしもヒップホップに限った話ではありませんが)
だから、別に誰がパクられてもおかしくないという、社会通念からはかけ離れているラッパーやヒップホップリスナーは確実に存在します。 それが、UZIさんだったという点での衝撃はありますが。2度ほどしかお会いしたことのない筆者でも、朗らかで真っ直ぐなUZIさんの人柄は伝わってきました。
今問われているのは、そうした出自を持つヒップホップが、ムーブメントを巻き起こした結果、そこに巻き込んでしまった人たち──つまり社会とどう向き合うか、だと思います。
僕個人の見解としては、UZIさんが社会復帰したら、また日本のヒップホップを広める役割として「フリースタイルダンジョン」でまた変わらずMCをつとめてほしいと思っています。
そして、なぜ大麻が蔓延しているのか、日本での大麻利用は今後どうなっていくべきか、それも議論してほしいとさえ思っています。
日本のヒップホップは過渡期である
以上のことは、今回に限らず、僕はずっと言い続けてきています。
「ヒップホップ」自体、今、過渡期の真っ只中にあるのではないか。
カウンターカルチャーだったヒップホップをライフスタイルとして貫こうとする人や、自分のメッセージを伝えるための音楽ジャンルとしてヒップホップを広めようと努める人。
この逮捕は、それを問いかけ直すきっかけでもあります。<
今回の件には、ヒップホップのムーブメントを萎ませてしまうリスクもあれば、これまで起きていた分断を見つめ直すことでさらに別の形で進化していく可能性さえ孕んでいると思います。
ようやく話を冒頭に戻します。未知の領域へ足を踏み出すきっかけを、KAI-YOUはポップと定義してきました。
以上を踏まえて、このUZIさん逮捕事件も、ポップなものとして配信しました。
様々な場所で様々な言葉で、ポップについて、手を替え品を替え語ってきたつもりです。
しかし、ここの周知が足りていないのは僕たちの責任です。それについては、不甲斐なさを噛み締めています。
そして、この記事だけでは確かに説明できていなかったのも事実です。それは反省します。
ただ、KAI-YOUとしては、メディアとして、これまで、海外での大麻隆盛を取り上げたこともあります。
上記の、歴史から分断された結果としてジャンルとして豊かになりつつある状況については、始めたばかりの特集でも議論しています。
KAI-YOUは「節操がない」と見られる時もあります。しかし、全てをフラットに扱う以上、それは宿命だと思っています。
後ろ指を刺されることもありますが、少なくとも僕らの体力が続く限りにおいては、これからも、様々な提起をして、ポップに至る道を探っていきたいと思っています。
以上をもって、年始の挨拶と代えさせていただきます。