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ヒップホップは探偵小説か? ハハノシキュウと佐藤友哉、異端(青春)作家の邂逅

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ヒップホップと小説は、遠いようで近いジャンルであり、共通するテーマ性を抱えているように思う

どうも、「KAI-YOU Premium」編集長の新見です。行事ごとの時にしかこのブログは更新されないのですが、実は明日19時から「KAI-YOU Premium」初のオンラインイベントを行います。

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「KAI-YOU Premium」会員は無料だし、非会員でも1000円で視聴可能なので是非ご参加いただきたいんだけど、イベントでどういう話をしたいのかっていうのを、当日への補助線としてここに書いておきたい。

2人の著作を一切読んだことがないという人でもある程度楽しめるように、前段を整理するという側面もあります。

これは、ご登壇いただくハハノシキュウさん及び佐藤友哉さんのお考えとはきっと異なるだろう、あくまで自分なりの考えでありますのでその点ご容赦ください。

佐藤友哉とハハノシキュウの共通点

以下、敬称略。

僕には、佐藤友哉ハハノシキュウという「作家」には共通点が多いように思う。

2019年に刊行されたハハノシキュウの小説処女作『ワールド・イズ・ユアーズ』の書き出しはこうだ。

「我輩はラッパーである、名前はまだ売れていない」

言うまでもなくこれは漱石の『吾輩は猫である』のサンプリングで、この書き出しを読んだ時点で僕は『ワールド・イズ・ユアーズ』が傑作であることを確信したのだった。

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そこから遡ること18年前、2001年にメフィスト賞を受賞して19歳(!)でデビューした佐藤友哉

ユヤタンの愛称で読者からは親しまれ、彼の前後に同じくメフィスト賞からデビューを果たした舞城王太郎西尾維新らと共に、ゼロ年代作家として小説界を席巻した。

その時代から追いかけていた読者にはお馴染みだが、佐藤友哉と言えば、サリンジャーである。

デビュー作『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』から始まる鏡家サーガは、サリンジャーが「バナナフィッシュにうってつけの日」や「フラニーとゾーイー」などで描いたグラース・サーガがモチーフになっている。

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そして現在では、佐藤友哉と言えば太宰治と言っても過言ではない(いや、それはさすがに過言かもしれないが…)。

かの文豪・太宰治が現代に転生した物語で異世界転生ものに挑んだ「転生! 太宰治」シリーズを2作刊行していてこれがまた面白い(これも実はハハノシキュウさんが以前面白かったと言っていたので読んだ)。

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共通するのは、共にヒップホップでお馴染みのサンプリング的手法である。

もともと佐藤友哉は、推理小説家としてデビューした。推理小説、ミステリーには、探偵がいて、犯人がいて、事件がおきてその謎を暴くというルールがきちんと存在する。ルールがあり決まった構造のある、ジャンル小説だ。

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その後、純文学に足を踏み入れた(本人は「文学として回収された」と表現している)佐藤友哉はその後『1000の小説とバックベアード』で三島賞を受賞する。

ハハノシキュウの「小説家になろう」という曲では、小説家としてデビューした顛末が歌われている。ハハノシキュウをデビューさせたのは、星海社の名物編集者・太田克史佐藤友哉をデビューさせた人物でもある。

探偵小説はヒップホップに似ている。どちらも警察が厳しいときている。(ハハノシキュウ「小説家になろう」より)



僕もそう思う。ヒップホップにはヒップホップの様式があり、そのコードから外れると「ヒップホップじゃない」「リアルじゃない」と言われたりする

だからハハノシキュウの小説が探偵小説という体裁をとるのは自然だと思うし(厳密には推理小説と探偵小説は違うらしいが)、そしてハハノシキュウと佐藤友哉のどちらも、その様式から外れた存在である点も共通しているように思う。

佐藤友哉は、推理小説でデビューしたもののミステリー界の読者からは異端視され「弾かれた」。その結果、なんでも飲み込んでしまう文学に足を踏み入れたと本人が語っている。

ハハノシキュウも、言うまでもなく、日本のヒップホップ界ではどうしようもなく異端だ。「読むだけで口喧嘩が強くなるコラム」というものを昔連載してもらった時に、本人はこう解説している。

「ヒップホップは好きだけど、自分がヒップホップをやる必要はない」と決め込んでいた。

具体的には「スラングを使わない」「自分の名前をラップしない」「自分を褒めない」「私生活に触れない」「英語を使わない」といった類だ。フリースタイルにおいては時々、口から溢れてしまっているが、音源ではこのルールを決して破らない。(「読むだけで口喧嘩が強くなるコラム」より

探偵小説とヒップホップは似ているし、佐藤友哉とハハノシキュウも似ている

小説であり、ヒップホップであることは可能か?

昨日刊行されたばかりのハハノシキュウの小説2作目『ビューティフル・ダーク』はまさしく探偵小説だ。

「ヒップホップはそれが重かろうが軽かろうが、本人と一人称が直列でないといけない」(『ビューティフル・ダーク』より)

『ビューティフル・ダーク』で、ラッパーで小説家デビューを果たした語り手の“僕”は語る。「これはヒップホップに関する物語ではない。これは紛れもない探偵小説である」と。

語り手の“僕”は、限りなくハハノシキュウでもあるように読めるが、“僕”=ハハノシキュウではない。現実で起こったことだと思わせられるリアリティがあるが、当然すべてが事実であるわけもない。

その点において、確かに『ビューティフル・ダーク』はヒップホップではないようにも思える。

ヒップホップは必ずリアルでなければならない。リアリティよりもリアル。ラッパーによって形は違えど、ラッパーは必ずそれぞれのリアルを追求しているように見える。

小説も、実はその点では同じだと僕は思っている。リアリティなんてなくてもいい。虚構でしか書けない真実がある。フィクションでしか描けないリアルがある。作家はみんな、わざわざ意識せずとも知っているのだろう。

佐藤友哉は、現在Webで連載中の『青春とシリアルキラー』で、そのテーマに挑んでいるようにも思う。作家の“僕”は、作中で『青春とシリアルキラー』の反響を見て、一部の読者がそれを「エッセイ」と誤解していることに憤る。もしこれを「エッセイ」と思っているなら、なぜ「自殺したい」「死にたい」と嘆く“僕”のことを誰も心配しないのか?と。

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しかし、担当編集の“阿南さん”は言う。「少なくとも『青春とシリアルキラー』では、虚構を使って真実を書こうとしている」と。

ヒップホップの追求するリアルと、小説が虚構として書くリアルは、一見相反するベクトルのようだ。しかし、実は同じなのではないか?という仮説を持っている。

そして、もし『ビューティフル・ダーク』で“僕”が言うように「ヒップホップはそれが重かろうが軽かろうが、本人と一人称が直列でないといけない」ものだとするなら、「ヒップホップ」でありかつ「小説」でもある作品というのは、私小説以外で存在できないのだろうか?

そして、本当に『ビューティフル・ダーク』はヒップホップではないのか?

当日、どう展開するかわからないけど、その点は是非2人に聞いてみたい。

青春小説

昨晩、ハハノシキュウさんに「せっかくのイベントなので、何か自分でお二人について書いてみてもいいでしょうか?」と相談したところ、「是非お願いします」と快諾いただいたと同時に、「自意識過剰をキーワードにしていただければ」というお題をいただいた。

もう一つ、確かに2人には共通点がある。

失礼を承知で述べると、ともに、自意識をこじらせて青春に囚われた作家であるということが、その著作を読むとよくわかる。

これはしかし、当然だとも言える。

サリンジャーも太宰も、永遠に青春に囚われ続けた作家だと言える。誰が言ったか知らないけど「太宰治は青春のはしかである」という言葉さえある。

その2人をサンプリング元に選んできた佐藤友哉。そして、その佐藤友哉という作家に強く影響を受けていることを公言するハハノシキュウが、青春と無縁であるはずがない。

余談ながら、探偵小説とは、そもそも青春小説の変奏だとする優れた評論も存在する(リンク)。

さて、長々と書いてしまったけれど、このエントリが明日のトークにどのように作用するか正直未知数だ。全く回収されない謎の伏線になるかもしれないし、綺麗に伏線が回収されることになるかもしれない。

あるいは、「あなたは全く小説が読めていない」と著者2人からお叱りを受ける僕の姿が見られるかもしれない。

もし興味を持ってもらえたら、是非お気軽にご参加ください。

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