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清水富美加の事件からみる 愛は祈りなんだけど呪いにもなるという話

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代表・米村と副代表・新見の連載がスタート。ふたりが毎週火曜に週替りでブログを書いていきます!

代表/副代表が普段考えていること」「お互いが書いた記事への意見」「お互いに言いたいけど言いにくいこと」などなどが書かれていく予定(!)です。

舞城王太郎と『龍の歯医者』と清水富美加

 にいみなお(Twitter@NAO_NIM


「愛は祈りだ。僕は祈る。」っていう書き出しで始まる、僕の大好きな『好き好き大好き超愛してる。』という舞城王太郎の小説があります。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

僕が高校生だった10数年前にデビューして以来、一部で熱狂的な読者を増やしてきた彼は、覆面作家を貫きながらも、活動の幅を順調に広げていきました。

2012年、庵野秀明の『巨神兵東京に現わる』では「言葉」を担当。破滅的な映像に鮮烈な言葉を添え、さらに2015年には、その庵野が率いるカラーによる短編アニメ『龍の歯医者』で原案や脚本を担当しました。

そして先日、NHKで新たに長編作品として龍の歯医者が前後編で放送されました。

舞城王太郎NHKに、しかもアニメ作品で…!」小説の読者である僕から言わせるとこういう反応になるんですが、『龍の歯医者』は、明後日の方向から一部で注目を集めました。勘のいい人にはピンときたと思いますが、主役の声優に清水富美加さんが起用されていたからです。

製作陣にとっては、このような注目のされ方は本意ではないはずです。僕自身、普通に楽しみにしていたので、報道以来、うちのメディアに『龍の歯医者』の検索流入が目に見えて増えているのを複雑な気持ちで眺めています。

いい演技するんだ、これがまた。

能年玲奈といい清水富美加といい、いい役者さんを育ててるんだよなあレプロは(結局手放してるけど)。

「呪い」の正体

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さて、昨今、やれ不倫だのやれ不祥事だの、不寛容な社会になっていっている窮屈な空気を、少なくとも僕は感じています。

感情化する社会

感情化する社会

例えば、清水富美加さんの場合、多くの人が指摘している通り、なぜ電通社員の自殺では「死ぬくらいなら逃げればよかったのに」と思えた人たちが、芸能生活で死ぬほど追いつめられたと吐露する女優の選択を容認できないんでしょうか。

逃げるは恥だが役に立つ』で、制約とか常識とか、責任とか、“社会に属する人間”として当たり前すぎて気付くことも難しい透明な「呪い」から逃げたっていいんだと口にした石田ゆり子さんの台詞に救われた人は、少なくなかったはずなのに。

事実として、清水さんの出家の責任を負わされて、泣いた人間は大勢いるはずです。マネージャーはもちろん、事務所スタッフ、清水富美加さんを起用していた作品の関係者各位。期待して目をかけていたのに裏切られたという人もいるでしょう。もちろん、応援していたのに、と涙しているファンもいるでしょう。

彼女が自分勝手に出家しただけでも大いに「他人に迷惑をかけた」のに、その上暴露本なんて冗談じゃない、というのはその通りでしょう。そこは、松本人志の言う通り、「幸福の科学」側で彼女を諭して、これ以上彼女自身にヘイトが集まらないように導いてあげられなかったのか、と思わずにはいられません。

全然守ってあげれてねーじゃん信者を。

清水富美加さんの不倫報道も、考えうる限り最悪のタイミングでした。

「握手会で手がベトベトしている人が気持ち悪かった」と重々しく告白する彼女は、そもそも芸能界には致命的に向いてなかった。出家直後に告白本を出すのも悪手だったと思います。でも、もし、身内に溜め込んだ毒をああいう形で撒き散らさなければ、もはや前に進めないくらい彼女自身が追い詰められていたとしたら?

迷惑を被った人、応援していた人には、彼女に怒る権利はあるでしょう。彼らもまた、そうしなければ報われない傷を負ってしまったのかもしれない(安全な場所から石をぶつけてる輩は論外だけど)。しかし、それでも「他人に迷惑をかけるくらいなら自分の毒で死ね」と石を投げつけるのであれば、それはやはり、電通の自殺と根は同じであるように思えます。

たいていの場合、悪意から来る「呪い」であれば、ある程度の意志さえあればはねつけることができます。しかし、人を最も強く縛るのは、その人のことを心底思っている人からかけられる「呪い」なんだと思います。

「せっかくここまできたんだから諦めないでほしい」。もしかしたら「自分の責任もあるからもう少し一緒に頑張ってほしい」が本音かもしれない。ただ、100%その人のためではなかったとしても、その人のためを思う祈りこそが、その気持ちが強ければ強いほど、硬い呪いになるのです。

愛は祈りで、祈りは愛だけど、時としてその祈りこそが、その人を縛る呪いになる。

「よかれと思ってやったことが足枷になってしまう」というモチーフを反復する細田守


以前、雑誌に寄稿させていただいたことがあるのですが、例えば「細田守」というアニメーション作家は、一貫して「善意が(意図せず)翻って悪意に転じる瞬間」を繰り返し描き続けている作家だと思っています。

『サマー・ウォーズ』でも『ぼくらのウォーゲーム』でも『時をかける少女』でも『おおかみこどもの雨と雪』でも、民衆あるいは母親から向けられた“善意”が、誰かにとっての“足枷”となってしまう瞬間が、細田作品には繰り返し反復されるモチーフとして登場しています。

そのモチーフは、例えばアニメ『ワンピース』の映画版『オマツリ男爵と秘密の島』なんかにもわかりやすく現れています。

失った仲間を思うあまり、禁断の力を使って彼らに“呪い”をかけたオマツリ男爵は、細田守作品にあって象徴的な人物です。

「誰かのためによかれと思ってやったことが誰かの足枷になってしまう」。人と関わりを持つ上で、これは避けられないことです。でも、その呪いを解く鍵は、祈った本人が握っているんだということを常に思い出すようにしたいものです。

完全に宗教めいてくるのでこの辺でやめとこうと思うんですが、

すべての事象には因果が存在します。

良い事、悪い事に限らず、「何かが起こる」ということは、必ず「誰かが願った」結果だと考えることにしています。

人は何かを願わずにはいられないし、誰かを思わずにはいられない。何かに期待しないではいられない。それが良い風に働けば、良い結果につながる。いろんな技術とかサービスとか作品とかを生み出す原動力にもなる。

ただ、繰り返しになりますが、その祈りは、受け取る人や場合によっては「呪い」になってしまうかもしれない。

でも、もしもその祈りが届かなかった時や断ち切られてしまった時でも、祈った側がそれを許すことができれば、「呪い」は消滅するんだと思います。もちろん、その祈りが本気であればあるほど「裏切られた」という気持ちは大きくなるし、許すことは難しくなるわけですが。

そして、語弊を恐れずに言えば、家族にも企業にも、居心地のいい共同体としての居場所を見つけられなかった人がいたとして、「呪い」から逃げる先が、もしも「死ぬ」か「宗教に骨を埋める」しかないのだとしたら、それしか容認できなかった今の社会や共同体に見直すべき点があるように思えてなりません。

別に清水富美加さんのファンというわけではない僕に、これ以上口を出す権利もありませんが、今回の一連の騒動を眺めていて、自戒を込めてそう思いました。

究極的には、人は誰かのためにだけは生きられないし、いよいよという時は自分の命や健康を優先すればいいんだということは、誰かが言い続けるべきだと思う。

つまり何が言いたいかと言うと、舞城王太郎原作で細田守監督のアニメーション超見てみてえ

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