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はじめまして

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 はじめましての人ばかりですね。そうではない方々についてもやはり、「この場所」でははじめまして。KAI-YOU佐野と申します。

 今回、ブログを書きはじめるに当たって、さて、どういうスタンスで何を書こうかという、ごく当たり前のアレにぶち当たりました。しかし、逡巡していても仕方がありません。とりあえず第一回目を書いてみて、そこから方針を決めるしかないのではないか。そのように考えつくに至りました。文体は、この座りが悪い敬体ではいかんと思うけれど。まあ、とにかくはじめてみましょうか。はじめということで、(無駄な)力が入って、長めになるかもしれませんが悪しからず。また、KAI-YOUとして、というよりも、明らかに私事に傾きそうな予感がしてはいます。独断専行です。以下本文。

 
 
 ちょと遅れた四月馬鹿と思ってくれても構わない。実は俺は教師をしていたことがある。高校の、国語の先生だ。母親がその町で小学校の校長をしており単身赴任していたところに、ちょうど転がり込むことができたのだった。
 それは産休に入る先生の代替教員として、およそ3年前から1年10ヶ月間のこと。場所は岩手県の◯高校(地元が岩手であるため。実家は内陸であるので今回の災害において幸いなことに家族や親類に人的被害はなかった)。この間の津波で、町が半分なくなった場所である。

 津波「被害」については今は書くまい。「今」それを始めては、ブログとしての体裁を保てないほどの分量と内容になるだろうから。ただなるべく多くの人たちの、無事を祈るに留めよう。生き抜けよ。生徒たちめ。

 
 俺が教師でなくなったのは、去年の3月。それからは(再び)KAI-YOUとしての活動をしていて、それでもだ、それでも今回の災害は、否が応にも俺を教師としての立場へと回帰させるものではあった。(これは私事であるので本来なら秘すべき内容かもしれない。そうかもしれないが、公職を離れた俺を、教育基本法学校教育法も、その他もろもろも、もはや縛ることは出来ない。そして書いている。)

 地震からちょうど一週間後。何日間か孤立していた避難場所にいる教え子からメールがあったのである。
「生きてますか?」 
 と、それだけのメールが。 
 正直に言う。狼狽した。うろたえた。18年の間生まれ育った町をあらかた失った彼/彼女たちに対して、(東京にいる)俺がかけうる言葉というものが果たしてあるのだろうか? そうして出来上がったのは、恐ろしく留保付きの、長い返信メールであった。
 
 要素としては

①まずは君の「生」を祝福する。
②今、直接的にブンガクにできることはない。残念ながらすべては更新されてしまったかに見える。
③被災地の人間が全てを背負うなどは間違いだ。不安なことがあったら(すぐ)俺に言え。
④生き抜け。
⑤もう一度、君の「生」を祝福する。

 この5つくらいか。
 
 
 ここで文章は、いささかアクロバティックな展開を見せる。以上まではマクラに相当する部分であり、以下では返信メールにおける要素②(①と⑤についても少し)についてのみ、語られることになるからだ。
 
 残念ながら、ブンガクに出来ることがない(ように思える)。先日の文化系トークラジオLifeにおいてチャーリー(鈴木謙介。敬称略)が「社会学に『今』できることがない」と言っていたがあるいはそれと同じで、ブンガクにもやはり即効性がない。即効性というか、そもそも避難所で怯えている人間は、読書というものが出来ない状況にあるだろう。(学校の「朝読書」以外では、あまり本を読まない生徒たちでもあった。)

 誰が「今」、避難所で『ディアスポラ』(グレッグ・イーガン)や『火星年代記』(レイ・ブラッドベリ)を読むだろうか? そして非常時に『ディアスポラ』/『火星年代記』は感動を与えられるのだろうか?
 そもそもの問いの建てかたに問題はあるだろう。例に採った書物にも、偏向があるだろう。それは十分に理解していつつも、やはりそれを思わざるをえない。なんというか、「その問いの建てかたが成立してしまう状況があってしまう」という、本当に困った「状況」が、現に存在してしまうのだから。(「という状況があってしまうという状況が・・・」と、無限に続けることが可能である。それくらい困っている。)
 
 最近では金八先生の放送などもあり、例えば津波後教壇に立った俺が、どんなことばから語り始めれば良いのかなどという可能世界に思いを馳せつつ、なぜか、自分がはじめて作ったテスト問題を見返すなどしていた。
 その前期末考査問題上には、生徒たちの能力に合わせない、ガチな問題づくりをしている俺がいて、それが見えるようになった今の自分は、なるほど気づかないうちに成長していたのだなあなどと思うと同時に、そこで扱っている「小説」に、少なからぬ衝撃を受けた。
 
 おそらく教科書に付属の教師用資料(テスト問題)からのほとんどそのままの引用ではあろうが、大問二、「小説」の問四をそのまま掲載する。


平成二〇年度岩手県立◯高等学校第二学年前期末考査問題 

問四 死んだ蜂を見ている「自分」は、「静かな感じ・静かだった」「淋しかった」という言葉を繰り返し述べている。ここには「自分」のどのような心情が表れていると考えられるか。次の中から適当なものを一つ選べ。

(ア) 死は肉体としては見苦しい姿をさらけ出すことになるが、精神は穏やかであり崇高ささえ感じている。
(イ) 死はあらゆることを超越すると同時に、あらゆることを受け入れもするという不可解性に疑問を感じている。
(ウ) 死は重大なことのようにも思えるが、他方では景物の一つとして自然な姿でもあると悟りにも似た思いを持っている。
(エ) 死は永遠の平安をもたらす一方、生き残ったものからは忘れられてしまうという、肯定と否定の思いが入り混じっている。
(オ) 死はすべての苦悩からの解放ではあるが、遺(のこ)されるものにとっては多大な苦痛であると両面を見つめている。

 あの津波を経験した生徒たちに、どうやって「城の崎にて」(志賀直哉)を教えることが出来るだろうか。それが俺にとっての、現在の宿題である。
(そして、逆にこう考えることもまた可能だ。「俺があのとき教えた『城の崎にて』は、『今』彼らにどんな影響を与えているだろうか?」)